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追いコン・アケルマン・Suryaくん
火曜日は追いコン。最近は観光もセットになっていて、今年は京都水族館。正直、子供向けの施設と高をくくっていたが、なかなかどうして、見応えがあった。
特にくらげの展示はすごい。小さなくらげの細かい繊毛の美しさ、そのシンプルな身体構造のどこに生命の源があるのか。ついつい入り込んで見てしまう。
土曜日は飯田橋のアンスティチュ・フランセでアケルマンの映画「東から」。台詞もストーリーもない、東ヨーロッパの街や人々の描写が延々と続く。初めの15分で猛烈な眠気に襲われたが、復帰してからはいい感じで入っていけた。しかし廃れたものって、なぜ映像にするとあんなに美しくなるのだろう。帰り道、神田川沿いの風景とアケルマンとが重なった。
今日はインドネシアからSuryaくんが新婚の奥さんと東京のスタジオに来てくれた。実は8月にスラバヤでコンサートとマスタークラスをやることになっていて、その打ち合わせ。Suryaくんは妹さんのMegawatiとスラバヤでMusic Schoolを5年前に立ち上げ、今では生徒数300人以上の規模の学校に育て上げた。そこの5周年イベントに呼ばれたのだ。光栄。初めてのインドネシア、すごく楽しみ。
春画展
恐らく牡蠣だと思う。前にも経験があるが、1日だけ発熱、嘔吐下痢はないのだが胃痛腹痛。好物なんだけどなあ。この時期は気をつけなきゃ。
京都の細見美術館で春画展を見た。東京では見逃したが、こちらは見逃せない。いつもはゆったり見られる細見も、この日は混んでいた。人の流れに乗っての鑑賞はやはりストレス。そんな環境でも、アピールしてくる絵たち。歌麿の顔や陰部が見えない春画や、思ったより小さな北斎の有名な蛸、月岡雪鼎、幽霊の春画など、インパクトがあった。もっとゆっくり見たいので、4,000円と高かったが図録を購入。さあゆっくり家でにたにたしながら鑑賞しよ。
コンテンポラリーアートつづく
日曜日は20度超え。今日も午前中は暖気と寒気が交じり合って、まるで花冷えの頃のような空気。なんか新学期を迎えたような気分になってそわそわする。
先週は、11日パストラル加須で地元アイドル歌手・持木文子の伴奏、13日と14日は銀座ヤマハホールでリトルピアニストコンサートとイベントが続く中、今週もいくつかコンテンポラリー・アートのイベントに通った。
京都のギャラリー、create 洛にて「創造する画家たち展」では御歳80代の野村久之さんや今年99歳になられる齋藤真成をはじめとするベテラン9人の展覧会。年齢とは逆行しているような迸るエネルギー、そして説得力に圧倒される。
広尾のギャラリー、山本現代にてブルース・ビックフォード展「Line and Clay」。クレイ・アニメーションの鬼才のクレイ作品の展示とともに、アニメーション上映。30分弱のこのアニメーション、デヴィッド・リンチを思わせるシュールでグロテスクなものだが、めちゃくち引き込まれる。こんなすごいものが無料で見られるって、どうなってるんだろう。音楽も強烈でまだ耳に残ってます。
http://www.yamamotogendai.org/japanese/exhibitions
三ノ輪のTPAMにて三野新さんの「Prepared for FILM再演」。あのサミュエル・ベケットの1965年の映画「フィルム」をベースにした映像と役者とダンサーによるパフォーマンス。映像は常に役者の背後を追っており、それをプロジェクターで投影。役者はベケットのト書きを喋りながら動く。実際に見えている映像と別の映像が常に自分の中に映し出されるのが、不思議な面白さ。70分のパフォーマンスがとても短く感じた。人間っていろいろ未知な感覚を秘めているんだなあ、と感心。
http://www.aratamino.com/#!-prepared-for-film--re-action-page/c10xj
現代の音楽展2016
このところコンテンポラリーのレポートみたいになってます(笑)。
日曜日、オペラシティ・リサイタルホールで行われた現代の音楽展へ。ゲストは高橋アキさん。前日の土曜日に行われた公開レッスンの成果発表から始まり、「シューベルトとコンテンポラリー」と題されたシンポジウムが続く。
パネリストは近藤譲さん、沼野雄司さん、松平敬さんで、司会が佐藤昌弘さん。沼野さんの提示されたシューベルトのセクシャリティをめぐる論文の話が面白い。
(ここからは沼野さんの発言ではなく僕なりの解釈であるが)音楽において修辞学や説得力などが主な関心事であった18世紀は、結果として音楽にファルス(男根)的享楽の要素が強まる。すなわち音楽が欲望に向かって進むように形成されていくようになる(ベートーヴェンはその象徴と言えるらしい)。ところがシューベルトはそれに依っていないという。シューベルトの音楽と従来の音楽との相違点はそこで、そのことが彼のセクシャリティの研究へと繋がり、また現代の音楽表現の分析へ繋がっていく。
シューベルトの音楽は素晴らしいが、その魅力の本質って何なのだろう?といつも思っているが、ひとつの興味深い視点だと思った。
メインは高橋アキさんのリサイタルで、シューベルトのD935をモティーフにしたベリオの「水のピアノ」で始まり、浅野藤也さん「祈り~ピアノのために」、北爪やよひさん「ÉNEK Ⅺ for Pianist ~そのときどきの~」、松平頼暁さん「ピアニストのためのアルロトロピー」、湯浅譲二さん「内触覚的宇宙Ⅱ・トランスフィギュレーション」と続く。そして後半はシューベルトのD960。
シューベルトとコンテンポラリーを組み合わせた、ちょっと他にないプログラムで楽しめた。
檜垣智也&クリスティーナ・クービッシュ
金曜日は京都芸術センターで、檜垣智也さんの「アクースマティック作品による音の個展」。
解説によるとアクースマティック作品というのは「発音源を見ることなしに聴く」ということらしい。具体的には、奏者である檜垣さんは、音響調整卓をリアルタイムに操って録音されたさまざまな種類の音を映像とともに放出する。
初めての体験だったが、この形でしか表現できないものがあるように感じた。特にマテリアルとしての言葉の扱い。ときに旋律、ときにノイズ、また意味を強調するかと思えば、抽象の波に埋もれていく。文学でも歌でもない。
日曜日は初台ICCでクリスティーナ・クービッシュのトーク。
電磁波を誘導する特殊なヘッドフォンを用いて、都市を歩く「エレクトリカル・ウォーク」など、彼女の最近の活動が紹介された。自分が気になる音に寄り添っていくため、変な場所で立ち止まったり、頭をぐるぐるさせたり、見た目に奇妙な行動になって可笑しい。
サンプル音が流されたが、ときにテクノ・ミュージックのようなリズムを持ったり、低音から高音までの幅も広く、その表情は変化に富む。
見えない電磁波の世界を覗くことは、異次元のパラレルワールドを覗くようで楽しい試み。
大阪でもインスタレーションをしているようで、そちらも行ってみたい。