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兆し
水曜日は定期健康診断。10数年に亘って抗い続けてきた降圧剤の服用だが、ついにギブ。数値が予想より高かったこともあるが、昨今の体調不良(帯状疱疹、突発性難聴、痛風の疑いなどなど)もあって、気が変わり飲んでみることにした。
土曜日は平野蘭さんの写真展。カサブランカという百合の写真が中心だったが、平野さんに促されて、手に取り、間近で観察して驚愕。なんと精緻な光沢とテクスチュア!とくにシルバーやグリーンの触れたくなるくらいなめらかな質感は忘れがたい。
このところ、なんとなく周囲の気配が変わりつつあるように感じる。理由はないが、よい兆しであることを期待。
高砂や
音楽プレーヤーとして使っていた旧型のマックがお亡くなりになった。また冷蔵庫が冷えなくなってきてこちらも新旧交代。
大学院の入試が終わり、晴れた日曜日は久々にお能。それも「高砂」。東山の京都観世会館近くは人出も多い。
高砂の中で、相生の松を讃えて、和歌を詠ずるもとになるとし「草木、土砂、風や水の音にまで万物に歌の心がある」と歌うところは感動的。先週までどんよりしていた気分もいくらか爽やかさが戻ってきた。
疎水の川辺で食べるお蕎麦、そしていつも行列ができている祇園饅頭の工場でできたてのくりもち。丹波栗がたっぷり。やはりこの季節はいちばんだ。
日本のチェンバロ受容史
土曜日は神戸のテアトル・ラモーで、「日本のチェンバロの歴史は関西から始まった」というレクチャーに。講師の梅岡俊彦氏による、興味深い日本のチェンバロ受容史が展開された。戦前にも日本に古楽ブームがあったことが驚き。その頃は、ピアノもまだ珍しい時代なのに、チェンバロやクラヴィコードにも興味の目が向けられていたというのは、当時の西洋文化を吸収しようというエネルギーの大きさを物語ってはいまいか。
SPレコード音源を再生する1930年製の蓄音機がすごい。電気的なアンプもないのに、ものすごい大音量で音質も素晴らしい。
日本のピアノの受容史ともリンクして語られるべき内容かも知れないと感じた。
Vetruccio氏来日
台風、今度は関東も凄かった。JRは30日の20時に電車を全部止めるという英断。これはよかったが、翌日朝(今朝)けっこう強風が残り、交通がかなりパニくったようだ。
先週から大学がスタート。春に訪問したイタリア・レッチェ音楽院からValeria Vetruccio教授が25日に来日。21日に関空がなんとかオープンしたため無事に来日できてよかった。
26日はリサイタル。輪郭のはっきりした表現と、特にラテンのメランコリックな旋律の歌いまわしや、リズムのグルーヴ感は素晴らしかった!
27日はマスタークラスで4人の学生と和気あいあいに、しかし的確な指摘を与えておられた。音楽にチャーミングなポップさを持ちつつ、アキレス・デル・ヴィーニュやフランコ・スコラ、リッカルド・リサリティなどに師事した正統派な音楽の痕跡も明らか。