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玉女せんべい

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嫌な感じはしていたが、風邪ひきました。

先週水曜日は、赤松玉女・学長就任祝賀会。京都ホテルオークラに、各界から200人近い人が集まった。2023年の大学移転までの期間、重責を担われる。就任早々、名称問題などにも凛然と対応されているし、とにかく仕事が丁寧で気配りもきめ細かい。

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お土産は、あの末富の定番「京ふうせん」になんと「玉女」の文字が! 開けてびっくり「玉女せんべい」や~


フルクサス!

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まわりで風邪が流行っている。

来月初めに予定されていた軽井沢での演奏会、会場が停電、新幹線も高速も不自由とのことで開催そのものが危ぶまれたが、なんとか開催の運びとなり、ひとまず安心。だがアクセスや集客など不安も。

11月3日 秋の軽井沢 室内楽コンサート

そして来週は、塩見允枝子さんを招いて、フルクサスのコンサート。60代を迎えて、初めての演奏が「4’33”」という巡り合わせに、どこか清々しさを感じる(笑)。

フィリップ・コーナーの「ヘッダー」は手指では音を出さず、頭部のみでの演奏。これは学生が弾く。

小杉武久の「ディスタンス・フォー・ピアノ」は、身体のどの部分もピアノに触れず、脚立から棒の先に紐で吊るした物体を操作して演奏する。

最後は塩見允枝子がジョージ・マチューナスに捧げた追悼曲。6人のパフォーマーがメトロノームに合わせ・・・・あとは当日のお楽しみ!


台風19号

15号に続き、もっと大きな19号(地球史上最大級の文字が踊った!)が関東を襲った。台風が去って1日以上経過した現在でも、新たな浸水被害などが起こっている。

12日の朝、まだ台風は遠いはずなのに、千葉では強い雨風が始まり、停電したときは「ええ?もう?」と恐怖を感じたが、すぐに復帰。それ以降は、特にトラブルなし。土曜日の予定はすべてキャンセルして備えていたが、無事でよかった。

翌日曜日は、夏が戻ったような暑さ。午前中は鉄道がほぼ止まっていた。午後になり、道路は大丈夫そうだったので、車でみなとみらいまで。リハーサルは無事にできた。で、ラグビーは祝ベスト8。しかし見てて力が入ってしまい、苦しくなる競技だなあ。

今日は京都まで移動。急に季節が変わった感じ。

ミニピアノ・デュオ

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土曜日のニュイ・ブランシュ(白夜祭)、京都コンサートホールでの2台ミニピアノ公演終了。

2017年の春に河合ミニピアノと出会って以来、夏に51鍵の楽器を入手。相模原の「光と緑の美術館」にある64鍵の昭和型河合とは今年の春に初対面。この2台での演奏会のアイデアが出たのはその直後のことだった。

相模原から昭和型を運んで、実際に2台が並んだときは感無量だった。楽器の音色が合うのは予想していたが、京都コンサートホールのエントランスホールとの相性もよい。まさにハープとリュートを彷彿とさせる音に思わずリハーサル中にプログラム以外の曲も弾いてしまった。

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本番当日、昭和型の持ち主である調律師の三矢真人さんが、調律中にミニピアノの隠れた製造番号を見つけてくださり、楽器の身元がまた怪しくなった。三矢さんの昭和型は1933年製という。製造番号は244。私のミニピアノは262。18番しか違わない。とするとこのミニピアノも戦前のものという可能性が出てきた。

河合楽器の70年誌によると、戦後物資の少ないときに島田工場でミニピアノを製作した旨の記述があり、写真もまったく同じなため、1948年のものと思っていたが、戦後の製造番号は2000番台から開始したらしく、とすれば戦前のものになる。最初期の昭和型(1927)は「ワイヤ3弦」を謳っており、3弦のはずだが、いったいどういう契機で、どういうタイミングで1弦の楽器を製作することになったのか、いろいろと謎が浮かび上がる。日本のピアノ製造の歴史は、まだ解明されていない部分が多い。

今回の演奏会には、楽器関係の方々も何人かいらしてくださり、単弦の楽器がたいへん珍しいということも確認できた。

(左:昭和型#244  右:ミニピアノ#262)

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