脇則之先生

土曜日に恩師の作曲家、脇則之先生を偲ぶ会がありました。集まったのは都立芸術高校の6期生16名。その時の担任の先生が脇先生でした(僕は1年間だけ都立芸術高校に在籍していました)。

当時まだお若いのに、鷹揚朴訥という感じで、ドイツ仕込みの和声の授業が印象的でした。音名の発音もドイツ語の発音に忠実、ツェー、デーではなく、ツィー、ディーのように狭いeの発音をされていましたし通奏低音のことも「ゲネラール・バス」としっかり発音されていました。7の字の真ん中に線を引くのもドイツ流。和声の呼び方も島岡和声のように1転、2転ではなく「6の和音」「46(シロク)の和音」など本場仕込みでした。

高校時代以降、永い間先生とは疎遠でしたが、2011年にフェイスブックでコンタクトを取るようになってから、ネット上で頻繁にお話できるようになりました。先生もDAAD(ドイツ学術交流会)の奨学金でミュンヘンに学ばれていたこともあり、ミュンヘン音大の建物の話や、当時の音楽家たちの思い出話を聞かせていただきました。

これからもっともっとお話を伺いたかったのですが、今年3月に急逝され本当に寂しいです。

偲ぶ会では高校以来初めて再会したクラスメートもいて懐かしかったです。皆んな、脇先生の温かなお人柄や、先生のオーケストラ作品を高校時代に演奏した思い出などについて語ってくれました。

先生、どうぞ安らかにおやすみください。

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