牧野縝リサイタル

金曜日は北海道が吹雪で、京都も東京も肌寒かった。

ミューザ川崎の市民交流室で、牧野縝先生のリサイタル。こんなに集中して聴いたのは久々に思える。というのも、出てくる1音1音がことごとく今まで聴いたことのないアイデアから来るもので、聴き入ってしまう。初めに感じたのは、濃淡の弾き分けの著しいこと。音と音の繋がり方に特徴があり、ベタなレガートがないこと。そして、ペダルが極端に少ない。総合的な響きのまとまりより、個々の音たちの、ときに寄り添い、ときに相反するエネルギー関係の機微が浮き彫りにされる。とても新鮮な感覚だ。

自作「映像」についてドビュッシーは、「この曲はシューマンの左、ショパンの右に座席を占めるであろう」と述べたというが、この日のプログラムは、シューマン「森の情景」、ドビュッシー「映像第2集」、ショパン「バラードト短調とヘ短調」という、本当に「映像」をシューマンとショパンで挟んだもの。

シューマンのグロテスクで軋んだ音響、ドビュッシーの脂肪を削ぎ落としたような清冽さ、そしてショパン孤独な叫び。それがペダルで包まない、地音とその淡い残響によって描かれる音響世界は、墨絵を想像させられた。

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